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産地標高と種子生産

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高標高由来のトドマツの早熟性は次世代に遺伝するのか?

「桃栗三年柿八年」という故事があるように、樹木は果実を付けるようになるまでに一定の生育期間が必要です。一般的には、個体サイズと成熟齢に依存して繁殖を開始します。山岳地のような標高の高い場所では低温や強風といった厳しい環境にさらされるため成長が抑制され、個体サイズは小さくなります。ところがトドマツの仲間のオオシラビソの研究で、高標高では個体サイズが小さいにも関わらず、低標高域の個体と比べて早期に繁殖を開始することが分かりました(Sakai et al. 2003)。これは高標高のような厳しい環境では、成長を続けるよりも早期に繁殖を開始するほうが適応的であるためと考えられます。トドマツにおいても高標高産の次世代実生と低標高産の次世代実生を低標高域に移植した試験で、高標高産個体が低標高産よりも早期に結実することが示されました(倉橋ら 1992)。もしこのような早熟性が遺伝的に支配されているとしたら、この形質は次の世代へ遺伝することになります。
北海道演習林では1979年にトドマツの標高間交雑試験が行われました。標高1、100〜1、200mに生育する高標高集団と標高530mの低標高集団の2つの天然集団について、高標高と低標高の現地母樹に低標高と高標高の花粉を人工交配し、その実生を1986年に標高230mの試験地へ植栽したものです。2016年現在で36年生となり、一部の個体で結実が認められ始めました。そこで、この交雑試験地で各交配個体のサイズと繁殖量を調べることで、早熟性の遺伝様式を明らかにすることができると考えました。もし早熟性が次世代に遺伝するならば、高標高のゲノム割合と個体サイズによって次世代の結実量が説明できるはずです。本調査では、低標高由来母親×高標高由来父親(以下、低×高)が6個体、高×低が4個体、低×低が5個体、高×高が6個体の計21個体を対象としました。繁殖量として1本あたりの全ての球果数を計数しました。高さ10m以上ある樹木の球果数をどのように計測したかといいますと、高所作業車を試験地に横付けし、バケットに乗り込みオペレーターの方にあっちへお願いしますこっちへお願いしますと指示しながらアームを動かしてもらい、日本野鳥の会のごとくカウンター片手にひたすら数をカウントしていきました。一番多い個体は800個以上の球果を付けていてとても苦労しました。
 その結果、2011年と2014年の球果数は多い順に、高×高 > 高×低 > 低×低 > 低×高の順でした。2012年は全個体で結実せず、2013年は球果数が非常にわずかでした。このことから結実には豊凶があることが分かりました。また、2012年と2014年に21個体の樹高と胸高直径を測定しました。個体サイズは、2014年には低×高、高×低、低×低、高×高の平均樹高がそれぞれ13.3、13.3、15.2、11.3mで平均胸高直径がそれぞれ18.5、20.6、23.5、18.5cmでした。つまり、高×高が一番小さく、低×低が一番大きく、低×高と高×低では樹高はほぼ同程度でした。2012年でも同様の傾向でした。
 さて、それぞれの個体の持つ高標高ゲノムの割合は、高×高では100%、低×高と高×低では50%、低×低は0%ということになります。もし、高標高ゲノム割合が球果数に影響するならば、球果数は高×高が最も高く、低×高と高×低が続き、低×低が最も低くなるでしょう。さらに、個体サイズと球果数の正の相関が既往研究で報告されているように、個体サイズも球果数に影響すると考えられます。その場合、球果数は高×高が最も低く、低×高と高×低が続き、低×低が最も高くなるでしょう。球果数の結果は先ほど述べたとおり、高×高 > 高×低 > 低×低 > 低×高の順でした。統計解析の結果、個体サイズと高標高ゲノム割合の両方が有意に球果数に影響することが示されました。このことから高標高個体における早期の雌性繁殖が次世代に遺伝する形質であることが示されました。
 ところが、低×高と高×低は高標高ゲノム割合が50%と同等であるにもかかわらず、低×高の方が高×低よりも球果数が少なかったのです。これはどうしてなのでしょうか。ヨーロッパトウヒ(Picea abies)において次世代の個体の形質が、母樹が種子を生産した時に経験した気温と日長に影響されることが報告されています。このような母親の種子形成時の環境によって誘導される形質を母樹効果と呼びます。本研究においても、次世代個体の種子は母樹の生育場所で人工交配して得られたものです。すなわち、低×高の種子は低標高域で、高×低の種子は高標高域で生産されたことになります。このことから、低×高よりも高×低の球果数が多かったことは、種子生産時期の母親の生育環境という母樹効果も球果数に影響した可能性が示唆されました。
 以上から、トドマツの標高間交配実験によって、高標高産の早熟性が遺伝することが明らかにされました。さらに個体サイズや種子形成時の環境による母樹効果も影響すると考えられました。なお、本研究はHisamoto & Goto (2017) として報告済みですので詳細は本論文をご覧ください。